捕鯨の町の未来のために
〜捕鯨産業に蹂躙された町、鮎川〜
<目次>
0. はじめに
1. 牡鹿町の概要
2. 鮎川捕鯨の歴史
2-1) 近代捕鯨前史
2-2) 鮎川の近代史
2-3) 沿岸捕鯨の成立〜外来資本による捕鯨の導入
2-4) 沿岸小型捕鯨の誕生と衰退
3. 牡鹿町の現状と捕鯨の経済的効果
3-1) 牡鹿町の産業の全体像と捕鯨
3-2) 捕鯨の経済的地位
3-3) 鯨肉の流通
3-4) 現在の鯨関連業種
(1) 鯨肉卸売業
(2) 鯨歯加工
(3) 鯨肉小売業
(4) その他の鯨関連産品〜菓子類・木彫品
3-5) 牡鹿町の漁業
3-6) 観光
(1) 観光の現状
(2) おしかホエールランド
(3) ホエールロードほか
3-7) 牡鹿町の人口の推移
4. 地域文化と捕鯨
4-1) 祭事と捕鯨
(1) 鯨祭
(2) 施餓鬼供養
(3) 慰霊塔
(4) 鯨霊供養祭
4-2) 教育活動と捕鯨
(1) 学校給食における鯨食
(2) 牡鹿町に関する副読本
(3) 彫刻教室
5. おわりに
<参考文献>
<地名読み>
※このレポートは、1996年にクジラ問題ネットワークが発行しアバディーン
のIWCで配布した「AN INVESTIGATION OF SMALL TYPE COASTAL WHALING IN
JAPAN / A Scond Report on the Past, Present and Future of Ayukawa」
の日本語版テキストである。
クジラ問題ネットワーク版は、この日本語テキストをもとに英訳して作成
された。ごく一部、英訳に際して省略された部分がある。
※小さくサムネイルで表示されている写真は、クリックすれば別のウィンド
ウがひらき、もっと大きなものを見ることができます。
また、特記なき写真は1996年に撮影されたものです。
※更新履歴
これは、2004年1月5日に、2003年撮影写真を追加したものです。
<初版のデータ>
0. はじめに
このレポートは、1989年にエルザ自然保護の会からの委託を受けた阿部治氏
がまとめた「捕鯨問題レポート (2) -―鮎川捕鯨の過去、現在、未来―- 」を
基礎とし、1996年に補足調査を行ってまとめたものである。
このレポートの目的は、鮎川捕鯨の成立過程からその後、商業捕鯨が禁じら
れて10年近くが経過した時点までの推移をまとめることである。わが国の主な
捕鯨基地としては、ほかに太地(和歌山)・和田浦(千葉)・網走(北海道)
などがあるが、これらの中で鮎川を調査地に選んだ理由は、当地が沿岸捕鯨基
地としてわが国最大の規模を誇っていたこと、遠洋捕鯨の乗組員を多く輩出し
ていたこと、その後クジラをテーマとした観光地として売り出そういう計画が
あり現在に至るもクジラが町の重要な基盤のひとつとなっていること、などが
あげられる。すなわち、鮎川は、過去には名実ともに日本を代表する捕鯨の町
であったことがあり、現在も、そして未来も、クジラとは深い縁を持ち続ける
であろう町であるということである。
鮎川に行くことを決めた時点では、多少の資料集めくらいはする予定ではあ
ったものの、率直なところ、あとは観光を楽しむ程度のつもりだった。しかし
ながら実際に鮎川を訪れてみると、これまで捕鯨問題についていろいろ調べて
きた者としては、やはり商業捕鯨が終了したあとの鮎川の現状、そしてこの町
の未来には、おおいに興味をそそられ、多少は町民の方々への聞き取り調査な
ども行った。それらの情報をまとめたのがこのレポートである。
また、このレポートは、阿部氏のレポートをアップデートしたものである。
従って、その構成などについては阿部氏のレポートをかなり参考にさせて頂い
た。
このレポートはいわば予備調査の取りまとめであり、鮎川の捕鯨に関する調
査としては不十分なものであることをお断りしておく。個人的に、追って更に
詳細な追跡調査を行いたいとも思っている。
本文に記載されたデータは、前回の調査による阿部氏のレポートに記載され
たもの・今回の調査におけるヒアリング、及び牡鹿町史・町立捕鯨博物館作成
資料(旧鯨博物館)・町勢要覧・国勢調査によるものである。本来ならばそれ
ぞれのデータの出典を明確に記載しなければならないが、その作業は今後の本
調査によるレポートに待つものとし、一部のみ記した。
1. 牡鹿町の概要
牡鹿町は、旧鮎川村と旧大原村が1955年 3月に合併してできた町で、宮城県
の東北部にあり、太平洋に向かって南に突き出した牡鹿半島の中央部及び先端
部を占めている。このため、牡鹿半島のつけねにあたる北方で石巻市と女川町
と接しているものの、他の3方は海に囲まれている。牡鹿半島周辺は、世界三
大漁場のひとつとも言われる好漁場である。また、牡鹿半島の先端部の沖には、
信仰の島として古くから有名な金華山があり、観光の名所ともなっている。過
去に捕鯨で賑わったことがあり、また現在も牡鹿町の町役場が置かれている鮎
川浜は、この金華山観光(参拝)のための渡船の発着港となっている(なお、
この「鮎川」と「鮎川浜」の使い分けであるが、地名としては「鮎川」、集落
名としては「鮎川浜」という言い方が使われるようである)。
鮎川への交通アクセスは以下のとおりである。
公共交通機関を使った場合には、仙台からJR東日本の仙石線で約1時間で石
巻に到着する。そこから1日7便のバスで約1時間30分で鮎川に到着する。タ
クシーを使った場合、石巻から約45分・9000円前後となる。
自動車を使った場合には、仙台から 1時間余りで石巻に到着する。その後、
石巻から牡鹿半島の西海岸をたどる道、女川方面から牡鹿半島の東海岸をたど
る道があるほか、半島のつけねの女川寄り地点から先端まで、ほぼ半島を縦貫
するかたちで牡鹿コバルトラインと呼ばれる観光道路が通じている。牡鹿コバ
ルトラインは1971年 4月に県営の有料道路として開通した道路であるが、1996
年 4月より無料となり、利用者の増加が期待されている。
町の人口は6773人である(1990年国勢調査)。
牡鹿町の経済基盤を見ると、労働人口の40%が水産業に従事している。産業
別に見た場合の第二位はサービス業(16%)、第三位は卸売り及び小売業(11
%)となっており、第三次産業の合計は38%となる(1990年国勢調査)。また、
純生産高で見た場合には、水産業が26%、サービス業が25%となり、水産業と
観光業が二大産業の地位を占めていることがわかる(町勢要覧1992年版に掲載
されている市町村民所得統計推計による)。
牡鹿町の総人口のうち30%前後が鮎川に集中しており、また町役場も鮎川に
置かれている。鮎川は牡鹿町の政治・経済の中心である。
明治中期まで55戸ほどの寒村にすぎなかった鮎川が、牡鹿町の中心地として
発展したのは、明らかに、捕鯨会社の進出による捕鯨基地としての歴史による
ものと言えよう。しかしながら、捕鯨の全盛期である1970年代を迎える前に、
1960年代より、人口の減少がはじまっており、現在でも減少傾向は強い。その
後、捕鯨の事実上の終了及び漁業構造の変遷などもあって、牡鹿町、特に鮎川
浜は、観光の町としての性格を強めつつ、現在に至っている。
<資料・牡鹿町の人口>
年次 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990
------------------------------------------------------
人口 13405 11974 10581 9535 8450 7814 6773
(1990年国勢調査より作成)
| 鮎川浜全景。海沿いの県道から港を見下ろす。集落の中心地はこの左側(2003年撮影)。 |
| 外房捕鯨(千葉資本・本拠地は和田浦)の捕鯨船、第21純友丸。 | |
| 同じく第31純友丸。2003年に再訪した際には、捕鯨船は発見できなかった。また、この造船所は場所を移動していたようである。 | |
| 千葉県和田町の外房捕鯨本社社屋(1998年撮影)。 |
| 鯨歯加工業の店舗。この項目は4枚とも2003年撮影。 | |
| 鯨歯加工業の店舗。 | |
| 鯨歯加工業の店舗。1996年時も2003年時も、シャッターがあいていなかったが、営業していないのかどうかは不明。 | |
| 金華山のみやげもの店の鯨歯加工品コーナー。 |
|
鯨まんぢゅうの製造元、甘月堂の工場。店舗はこのはすむかいにあります(2003年撮影)。 ※本文中の店名を写真から読み取る際に間違えていたため、2003年撮影写真の追加・差し替えに伴い、訂正した。 | |
| 鯨まんぢゅう。中身はこしあん。かなり巨大なまんじゅうです(2003年撮影)。 | |
| 町営国民宿舎コバルト荘のみやげもの。Tシャツとのれん。 | |
| ホェールランド内の売店。くじらのぬいぐるみコーナー(2003年撮影)。 |
| 鯨祭りの捕鯨ショーで使われるクジラ(2003年撮影)。ホエールランドの横においてあった。 | |
| 鯨祭りで使われるのであろう鯨神輿。旧鯨博物館館内においてあった。 |
| 公民館の書棚。クジラ関係は2棚。 | |
| 公民館の書棚。原発関係は4棚。 |
| 女川原子力発電所。金華山〜女川の高速船上から(2003年撮影)。 | |
| 女川原子力発電所(2003年撮影)。 | |
| 牡鹿町の総合福祉パークの看板。「電源立地のまち」「原子力の日」の文字が見える(2003年撮影)。 |